建物等について 明治後期の地図 今現在のようす 中山説太郎とは更新 説太郎の著述等 再生に向かって更新 林之助のカトレヤ

■明治後期(建設当時)の地図

 1899年(明治32年)、陸地測量部制作の地図、岡山近傍26号(川邊村)、27号(倉敷)、28号(呼松)、30号(箭田村)、31号(玉島)、32号(勇崎)の合成です。画面サイズによっては隠れて見えませんが、下方にスクロールすると中央付近に現われる赤丸が旧中山家住宅の位置です、当時は、浅口郡西之浦村と呼ばれていました(明治36年、浅口郡連島町西之浦→昭和28年、倉敷市連島町西之浦)。住宅の西、川向こうにある集落が浅口郡玉島村(直線距離で3.6km)です。右上のコントロールパネルの下方に見える集落が窪屋郡倉敷村(直線距離で7.2km)です。南北に走る2本の川が高梁川で、東側の東高梁川が廃川になった高梁川改修工事が、この住宅の建設時期に重なっています。